作家と向き合う筆、筆と向き合う作家

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筆の性質

絵を描くのに必要な筆。皆さんの制作の目的に合うように、実に様々な種類の筆が存在します。
豚の毛で作られた筆は、コシが強いので油絵に向いています。しかし水を多く使う水彩画にはあまり適していません。
水含みの良さでは、やわらかい自然毛が適しています。

しかし油絵では、通常そこまで画溶液をどぼっと使って塗るわけではないため、柔らかすぎる毛は向いていないように思います。
馬・イタチ・たぬき・ナイロン・山羊・鹿・リス・猫などなど・・・
筆のメーカーさんは各々の毛の性質を理解し、作家の肌にあった筆を考えているのです。

ところで当店の筆売り場の中には、画箋堂の名前がラベルされている筆が多種類あります。
こちらの筆を開発しているのは、京都の筆メーカー「株式会社 中里」です。

中里について

とにかく筆をたくさん紹介する

本社は京都の御所の近く麩屋町通りにあります。ここで筆の製造をするのではなく、全国から作られてきた筆や刷毛をストックし、お得意様のご要望に沿ったラベルや名入れをし、セットをするといった作業をされます。例えば4月の新学期は、中学校や高校の教材用筆や刷毛などが沢山でますが、それらも要望に合わせて、多くの種類、大量にある筆を袋にセットで組んでいきます。納期や、筆の相談などのご対応が非常に親切で、弊社もたいへんお世話になっています。
また社長・会長をはじめ、営業の方々が全国をまわり、販売店だけでなくホビーショーや百貨店での展示 ・学校の授業で筆を広げ、学生さんに実際に塗り心地を試してもらう実践講義など、非常にフットワークが軽く精力的な活動をされています。

中里さんが全国で筆を紹介して廻る背景として、筆は実に多種多様にあり、毛質や毛組など使用用途に応じて全て異なるために、実際に使用感を体験しないと目的に合った筆を選べないということが挙げられます。私は個人的に大学での中里さんの講義にお邪魔したことがありますが、たくさんの学生さんが筆を試しておられました。例えば隈取筆の「隈取」は「歌舞伎独特の化粧法を差し、水と半々でぼかす。唐刷毛は毛に水を含ませず、まず紙に水を敷いてから絵具を乗せる・・・など、一本一本に適した使い方と目的がありました。そこまで日本画筆を使用したことがなく、水彩筆の毛のコシや太さだけを重視して使ってた私としては、恥ずかしながらも新鮮な経験でした。
中里会長曰く「何の絵を描くのか?」そこが重要だとおっしゃっています。作家がこれから作る作品にどんなイメージを持っているかはもちろん重要ですが、絵においてそれを形にするのは筆です。作家それぞれの制作に合った筆を製造する為、中里さん達は沢山の展覧会をまわって研究をされています。

筆の講習会の模様:札幌大谷大学にて

中里の歴史

1942

創業

1971

会社設立

1995

新社屋完成

2006

3代目 中里文彦社長就任

今回は数ある中里さんの工場の中でも、主に「刷毛」を製造している三重県の中里筆刷毛製造所を取材しました。中里の社長・中里文彦さんと、会長の中里勝さんにご案内いただきました。津と伊勢の間で、松坂牛で有名な松坂市の南に位置し、名神高速・京都東から車で約2時間ほどかかります。車内の窓には櫛田川やあたり一面の田園・山々といった自然豊かな景色が流れていきます。

原料について

道中、中里会長から現在の筆毛の原料についてもお話くださりました。主に海外(ほとんどが中国)からの輸入になりますが、毛の種類は減ってきています。豚や山羊などは、絶滅したり原料がとれなくなることはほぼありませんが、質の悪いものも増えてきているとのこと。例えば馬もそうですが、食肉として育てる期間を短くしようと、ホルモンや促進剤などで成長を促している傾向があり、通常成長に2年かかるところを1年くらいで育てるというまさにブロイラーのような状態で、ほとんど毛が育たないのです。そして動物の毛を刈る方が今や少なくなっているという現状です。単にバリカンで刈るのではなく、馬毛ならL字の特殊なヘラで、鹿毛は硬いので水をふりながら包丁で刈る、など十分な技術が必要です。さらには環境問題が厳しくなる現代、捨てる皮をそのままにしたり排水を出してはいけないし、動物独特の脂の匂いもきつい。この点も原料維持の一番の課題となっています。

また、自然毛の他にナイロン毛も筆にはよくつかわれます。リセーブル筆はナイロンの合成繊維を特殊処理し、高級とされるセーブル毛のもつ質感を再現し、そこに目的に沿った様々な天然の獣毛をブレンドしたものです。ナイロン筆は実は化粧筆が最初だそうです。歯ブラシの毛も最初は獣毛から植毛されていますが、昭和中盤からナイロン毛が加わり、毛の形や細さなどのバリエーションを増やし、大量生産ができるようになりました。私たちのごく身近にあるものに長い開発の歴史があり、その延長線上に画筆も関わりがあるのです。

  • 刷毛に使用される、羊の毛。
  • これは黒豚毛。かなり硬めです。

絵刷毛ができるまで

1原料の入荷〜開梱

仕入れ〜開梱

一番初めに入荷される原毛の束。大量の毛のかたまりがドサッと入ってくるのではなく、最初からある程度まとまっています。

束に貼られたラベルの意味

ラベルに名前が書いてありますが、これは同じ動物でも、部位によって毛の呼び名が違うために区別しています。一部例として山羊の毛。尾はもちろんしっぽで、三種類の中では若干硬いです。それよりもやわらかい細光峰(さいこうほう)や、中間の硬さの黄尖峰(おうとつほう)。他にもあります。メイクブラシにもよく使われるようです。このままではまだ筆毛として組むことはできません。

2混毛機にかけて毛を均一にする

この大掛かりな機械は「混毛機」といい、先ほどの原料の毛を均一化させ、筆として組むために揃えていく機械です。

混毛機の作業フロー

  • 01

    真ん中のベルトコンベアに、毛を一列に並べていきます。

  • 02

    まず通過するのがこの真ん中の部分。パイプらしきものが4本通っています。

  • 03

    各4箇所にはこのような手裏剣のような歯車がついています。これは刃ではなく、櫛(くし)です。下をくぐる原毛を、回転する4枚の櫛がやさしくといでいき、原毛を均一に揃えていくのです。

  • 04

    ベルトコンベアは機械の下を通っていきます。

  • 05

    精密な動きでもって毛はさらにほぐされて、一周回って再び元の位置に戻っていきます。

  • ここまでの動画

    以上の作業を約10分間、何周も回して繰り返します。

  • 06

    十分にほぐされた毛を、指ですこしずつすくい上げます。

  • 07

    紙の帯に巻いてまとめます。

  • 08

    まとめた毛束は周囲を固定したあと、バイブレーションという機械に乗せます。天板に微細な振動が起こっていますが、ここに毛束を乗せることにより、毛がだんだんと揃っていくのです。さながら激しい紙相撲?しかしあんまりやり過ぎてもダメだそうです。だいたい10分くらいがちょうど、とのことです。

  • 09

    バイブレーションにかけた後はこちらのバリカンにかけていきます。真ん中の台の上部に細かい刃がついていますが、毛束を刃にあてて長さを揃えていくのです。

  • 10

    こちらもバリカンですが、刃の形状が異なり、豚毛のような硬い毛専用になります。バリカンの刃の切れ味が悪いと、毛が引っ張られ、不揃いになってしまいます。

3刷毛の毛を揃える

工場の二階の一室に混毛機で均一にした毛を、刷毛の形状に合わせて製造する作業場があります。ここではその作業風景を詳しく見ていきましょう。

刷毛の毛を揃える

  • 01

    綺麗に混毛された毛の塊を、沸かしたお湯で一度たきます。こうすることで、毛の油抜きをするのです。

  • 02

    刷毛は幅のラインナップが決まっています。それによって使う毛の量も違ってきます。画像の器具は、刷毛の幅と量を決める「型」です。

  • 03

    慎重に型にはめていき、実際に幅を測り、都度調整をします。

  • 04

    ふのりを炊いたものです。

  • 05

    それらを型にはめた毛に塗って、固めていきます。

  • 06

    次に先の尖った黒い刃のようなものを使用します。刷毛のダメな毛をこれで処理するためです。手際よく刃を毛に当ててゆき、不要な毛が落ちてゆきます。

  • 07

    擦れて先のない毛があります。そういった毛をこの黒い刃で抜き、調整していきます。同じ条件で毛を揃えないと、刷毛ムラの原因になるからです。なのでこの工程は極めて重要な作業といえます。

  • 08

    さらに櫛をいれて、力強く毛をといでいきます。この段階ではたくさん毛がぬけます。

  • 09

    写真は、毛組が完成した状態のもの。この状態でやっと柄にセットすることができます。

ちなみにこの部屋では女性がお一人で刷毛の毛を揃えておりました。ナイロン毛は質感的に扱いやすく、自然毛のようにたくことはありません。摩擦の熱に弱いため、たとえば櫛で何度も毛を通すと、毛先がからまってしまうのです。

4刷毛の柄を作る

画箋堂おなじみの絵刷毛です。
ここからは、筆の柄の部分が作られていく工程をご紹介します。

柄の製作フロー

  • 01

    まずは本体。工場には、元々からこのように刷毛の形をした木板が入荷されてきます。しかし表面がささくれていたり、中には割れてたりして、ダメな物もあるので、まず1本ずつ確認をします。原料は、元々ヒノキをつかっていたそうですが、今はカナダ産のスプルースがほとんどだそうです。原料の写真を見ると、本体の持ち手の先が、丸みを帯びているのがお分かりでしょうか?この丸みはスパッと電動ノコギリで落とします。

  • 02

    こちらの機械で木板の表面をかんなで削り、ささくれを取っていきます。

  • 03

    上は原料そのものの状態。よくみるとささくれがあります。下は表面をかんながけをした状態です。比べると持ち手の先が真横に切り落とされているのがわかります。(穴が空いていますがそれは工程としては後です)

  • 04

    次に「面取り」という作業を行います。機械の真ん中に大きな円盤があり、すごい勢いで回転していきます。

  • 05

    先ほどの柄の両先端を、回転する円盤に当てて角を取っていきます。あらかじめどの角度で角を取っていくかがわかるように、木のガイドが備え付けてあります。

  • 06

    次に「溝切りと穴あけ」です。この画像はすでに溝切りと穴あけ加工をした後の状態です。この溝と穴は、縫い穴です。(後ほど登場します)

  • 07

    この機械で、柄に溝をつけていきます。天板の上には何もないようですが、その下には丸ノコ 刃が潜んでいます。

  • 08

    機械を上から見た図。天板にはほんの少しだけ丸ノコ刃が飛び出しており、ここに柄を滑らせると、溝が付くようになっています。作業されている方から見れば、奥から自分の手前に向けて滑らせるので、刃の回転は反時計回りになっています。時計回りだとささくれ立ち、溝が切れません。以上の作業を柄の4面に行い、溝がぐるっと一周します。

  • 09

    付けた溝に、均等に穴を開けていきます。

  • 10

    柄に刷毛の毛を入れるための「割り」を入れていきます。帯状の刃が回転しています。

  • 11

    横から見た図です。薄い刷毛の柄のちょうど中央に向かって、綺麗に割れています。ここまで深く割れていないと、毛を入れる際に広げられないのです。

5柄に毛を入れて、接着・縫い付ける

こうして出来上がった柄に、整えた毛を入れて接着・縫い付けていきます。机の上には刷毛として既に毛が揃えて固めてある状態のものがあります。

接着・縫い付けのフロー

  • 01

    乳棒のようなものでまずは毛をほぐします。

  • 02

    次に毛束の付け根に、このような白い紗を巻いていきます。網目がありますが、裏打ちされているものです。裏打ち寒冷紗。

  • 03

    洗濯のりを指につけ、紗に塗りつけます。

  • 04

    紗を巻きつけ、接着していきます。

  • 05

    付け根の部分に、様々な接着剤を独自でブレンドした特別な糊を流し込みます。

  • 06

    先ほど貼った紗の部分にも接着剤を漬けておきます。

  • 07

    柄の割った部分に毛束を差し込み、一応の形が仕上がりました。ここで一晩置きます。もう一度、縫い穴を空けます。

6縫い付け・乾燥

毛を挟み、接着させただけでは刷毛としての強度が不十分です。そこで、毛束と柄を「縫い付ける」作業をします。まずは、刷毛を台に挟み、しっかり固定します。

接着・縫い付けのフロー

  • 01

    縫い針とペンチをつかい、最初に空けた縫い穴に糸を通していきます。

  • 02

    次の穴へ、次の穴へと糸を通し、縫っていきます。

  • 03

    縫い糸は、楽器の三味線でつかう糸を使います。弦によって、絹・テトロン・ナイロンなどがあるそうですが、絹は伸びてしまうため、使いません。

  • 04

    縫い針は市販で売っている、やや厚手の布を縫う用のしっかりした針です。

  • 05

    出来上がった刷毛がずらっと並べられます。ここで1 日ほど乾燥させます。念のために、さらに割りの横から接着剤を流し込みます。

7毛をほぐす・揃える

最後に毛をほぐして揃えたら、ようやく私たちがよく目にしている刷毛の完成です。最初から最後の工程まで、繊細に丁寧に作業されているのがとても印象的でした。

毛をほぐす・揃える

  • 01

    バフという機械を通していきます。白いブラシのようなものが高速で回転しています。

  • 02

    出来上がった刷毛をブラシに突っ込みます。毛がかなり変形するほどのブラッシングですが、これは毛をほぐすのと同時に「耐久試験」も兼ねているのです。

  • 03

    次にこちらの器具を使います。あまり見慣れない器具です。

  • 04

    指でカシャカシャ動かすことにより、底の細かいバネのようなものが動き、毛を挟むことによって揃えていくのです。

  • 05ついに完成!

    最後に櫛で毛をといで、完成です。

あとがき

京都ならではの筆を特集するということで、いつもお世話になっている中里さんに取材をお願いしました。工場見学の当日は近畿地方に台風が接近しており、天候が非常に不安定という大変な1日でしたが、早朝から車でご案内くださり、約半日、とても充実した取材となりました。中里社長・会長・ならびに中里刷毛工場のスタッフの方々には、業務でお忙しい中、作業工程をご丁寧に説明下さり、本当に感謝し尽くせません。ありがとうございました。

また製造課程だけでなく、それを使う消費者の目線も記事にしたいという個人的な思いで、【相談編】として美術作家の田中加織さん、そして【講義編】として総合学園ヒューマンアカデミー京都校の田邊先生と学生さん有志にもご協力下さいました。御礼申し上げます。自分がどういったイメージを絵として表現したいのかが曖昧で、とりあえず手元にある筆を使っておく、学校の授業や課題などで目的を最短で効率よく達成するために、近年は百均のような安い簡易の筆で済ませるなど、筆に関する問題は様々に見受けられますが、絵を描く人にとっては、筆はいわば自分の指先に等しいものです。

単に価格が高ければ良い筆という基準ではなく、どの毛が自分の肌に合うのか?頭の中のイメージと実体(絵)とのピントを合わせていく、それを探求すること自体が、自身の感性を磨くことにつながるのではないでしょうか。今回の取材で、筆はただの道具ではなく、絵具同様に一番重要な画材であるということ。そしてこれからより多くの皆さんが筆に触れて、実感してもらえる機会を、画材店としてもどんどん提案していかねばならない、と強く認識しました。

胡粉の魅力