ばれんを繊細に使い分ける、それが木版画本来の姿。


菊英についてAbout Kikuhide

ばれん工房 菊英

神奈川県中群大磯町に、ばれん工房菊英はあります。
新幹線で小田原へと向かい、東海道本線に乗り継いで2時間半程で到着しました。
小田原から東海道本線は海に近いところを走るため、
電車に揺られながら太平洋の海原を間近に見ることができます。道中には海原を背にした駅もありました。

大磯の駅からは、遠くに海が見ることができます。海がかなり低くに見えたので街の海抜が高いのかなと感じました。
大磯の海水浴場は、明治18年に開設された「日本最初の海水浴場」、言わずと知れた湘南の海です。
この街には島崎藤村のお墓があるお寺があったり、大磯城山公園には元総理大臣の吉田 茂氏が過ごしたとされる別荘があり、
そこは旧吉田茂邸地区と言われています。

電車の高架下を潜り少し上がったところに「ばれん工房 菊英」さんがあります。
この工房でばれん職人の後藤英彦さんがひとり制作を続けておられます。

後藤 英彦Goto Hidehiko

版画家・五所菊雄氏、浮世絵摺師・内川又四郎氏に師事、摺りとばれんを学ぶ。

  • 1979年ばれん工房菊英 創業
  • 2012年東京銀座にて「銀座・ばれん塾」を開講

ばれんの制作だけでなく、素材となる皮白竹の竹林整備にも取り組んでおられます。
また、ばれんの魅力を伝えるため各地でワークショップをはじめさまざまな取り組みをされています。


ばれんについてAbout Baren

ばれんは木版画の刷りに使われる道具です。絵や文字などを彫った版木に絵の具を塗り、紙を置いて、その上からばれんで圧力をかけ紙に転写する。一つの版があれば同じイメージを何枚も摺ることができるため、つまりこの工程は「印刷」であるともいえます。木版画やばれんの発祥はいつ頃からか明確ではありませんが、浮世絵のように「絵」としての版画が確立するよりももっと昔、元々は神社や仏閣などのお札やお経の本を出版するため、お坊さんが代々伝わる版木をもとに、せっせと印刷していたのが始まりとされています。 京都精華大学:黒崎 彰先生の調査資料「社寺の木版印刷における刷り具の研究」より引用

その頃に使われていたとされるばれんは、今の物のように工芸品と呼べるクオリティのものではなく、木板や角材を竹皮で包み込んだもので、見た目を例えるならば「ちまき」のようなイメージです。
形も楕円・四角・縄で縛ったたわし状のものなどさまざまです。ベトナムでは刷りの道具にヘチマを芯に使用しているものもあります。ばれんがどういう歴史をたどってきたのか、その経緯や製法などはすべて口伝で伝承されてきたため、はっきりとした記録が無いとされています。

ばれんを構成する部位

ばれんの構造・部位は大きく分けると以下のような項目に分かれます。

1)当て皮

皮に包まれていて摺るときに

手が当たる部分

2)包み皮

ばれん全体を包んでいる包み皮

(持ち手にもなります)

3)当て皮の内側

当て皮の内側は
お皿の様になっています

4)ばれん芯

当て皮の内側に螺旋状に巻かれ

縄状に収納されています

最近のばれんにはプラスチック製や樹脂製であったり、芯の部分がディスク交換式になっているものや、ベアリング構造になっていたりするものが出てきていますが、いずれのタイプも基本構造は、従来のばれんに準じた形式になります。

菊英の本ばれんは、包み皮と縄状の芯が竹皮で製作されています。

竹の皮というと、食品を包む包装材を想像するのではないかと思います。昔話や絵本に出てくる、竹の皮に包まれたおにぎりと行ったイメージです。竹の皮には天然の抗菌性と通気性があり、そのため食べ物の包装に用いられています。京都は竹の産地ということもあり、竹を使ったさまざまな加工品が販売されています。一般的に全国で使われている竹皮は「真竹(まだけ)」や「孟宗竹(もうそうちく)」と言われるものです。

どちらも表面に特徴があり、「真竹」は斑点模様があるのが特徴で「孟宗竹」は茶色で細かな産毛状の毛があるのが特徴です。しかし、菊英の本ばれんに使用される竹の皮は、そのどちらでもなく「皮白竹(かしろだけ)」という竹の皮が用いられています。

皮白竹(かしろだけ)の特徴

その名の通り竹皮が白く
他の竹皮と比べて
表面の斑点が少ない

他の竹皮よりも
筋目の凹凸が強い

皮白竹には、皮白竹にしかない美しさ、繊維の丈夫さと粘りがあります。その特性を生かし、茶道具の「羽箒」の柄、栃木県日光市の伝統工芸品「日光下駄」草履表、群馬県高崎市の竹皮工芸「西上州竹皮編」などの工芸品にも用いられています。今回、私も皮白竹を使ったばれんづくりに挑戦させていただいたのですが、筋目がしっかりした素材でしたので非常に割きやすかったです。
皮白竹は、ばれんの包み皮のように「面」としても使えるし、細く割いたもの1本1本「繊維」としても使える、その特徴が日本の竹工芸のバリエーションに豊富さに与えているのだと感じました。ちなみに皮白竹は、福岡県八女(やめ)市と、うきは市のごく一部にしか生育していない希少な竹材なのだそうです。

皮白竹(かしろだけ)
主な歴史

平安時代から特産品として重宝されてきましたが、時代の変化に翻弄されてきた竹材でもあります。

江戸時代
昔、竹皮産業がまだ盛んだった頃、上等の履物や工芸材料として非常に重宝されており、皮白竹の特性と、奥八女の地域にしか生育しない特有性もあってか、江戸・大阪へ高値で出荷されており、有馬藩の貴重な収入源として、藩外の持ち出しを固く禁じられていた。
明治30年頃〜大正初期
竹皮商がいるほど商売が盛んで、時期になると大人から子供まで総出で収穫に励んでいた。
約15kgの竹皮一束が、米一俵と交換できるほどの価値であったと言われている。
昭和初期ごろまで
竹皮自体が生活の中で無くてはならないものであり、殺菌作用があることから弁当の包み・食品の包装として日常的に使われていた。また成長が早いため、生活用品や工芸品の材料として幅広い用途があり、一大産業となっていた。
昭和後期〜現代まで
プラスチック製品の登場とともに、竹皮・竹細工の需要が減ってしまう。
500人ほどいた八女の職人たちも、今や数えるほどしか残っていない。また竹林の管理者の高齢化と竹の消費自体が減ってしまったことで、竹林は荒れてしまい産業として成り立たなくなっていく。
再生にむけての
独自の
取り組み
材料供給に困った全国の竹皮工芸作家たちが、自分たちで竹林を整備し、竹皮拾いをするなどの活動をはじめる。徐々に協力者が集まりイベントや講習会などを通して皮白竹の使い手と産地を繋ぐ活動が続けられている。貴重な資源をどう活かしていくか、現在も模索が続いている。

皮白竹の皮が採れる時期

皮白竹の竹皮は6〜7月ごろ、梅雨時期の一週間という非常に短い間の晴れ間を狙って一気に収穫します。湿気が多くカビが生えやすい環境での収穫で、すでに雨で湿ってしまった物についてはアウト、選外になります。自然の変化に十分注意しながら収穫します。その後、日当たりの良い場所で十分に乾燥させ、さらに選別します。

日頃から竹が生育しやすい環境を作る努力も大変です。竹林を整備し、日光が入るよう間引きをし、竹が生育しやすい環境を作ります。竹皮を採取しやすいように道を開き、猪による食害も防がねばなりません。
そうして収穫までこぎつけた竹皮のなかでも、ばれんの素材として使用できる部分はほんのごくわずかであるため、環境整備を含め、いかに貴重な素材であるかが伺い知れます。

さて、ここからはばれんがどのように出来ていくか具体的に見ていくことにしましょう。実は取材をおこなった私たちは菊英さんの工房を取材するまえに、後藤さんが主催されている「銀座ばれん塾」で事前にばれんの制作体験をしており、その時感じたことも織り交ぜながら製造過程を紹介していきたいと思います。


ばれんができるまでMaking of Baren

江戸時代から受け継がれている伝統的な製法を踏襲した「本ばれん」と
低価格でありながら高い性能を誇る「むらさきばれん」。
それでは、菊英の代表作とも呼べる2種類のばれんの製作工程を見ていきしょう。

本ばれんができるまで

江戸時代から受け継がれている、浮世絵の摺師に伝わる伝統的な製法を踏襲した最高級のばれん。
ばれん芯・当て皮、全ての部位が長い時間をかけて手作業で作られています。
完全受注生産で、納期は半年〜1年ほどはかかります。

ばれん芯

皮白竹を繊維に沿って細く切り裂き、その1本1本を縒り合わせて縄状にしますが、繊維の太さ・芯の直径によって性能が違います。こちらは出来上がったばれん芯のサンプル表です。縒り合わせ方によって、芯の太さ・こぶの大きさが違う様子がわかります。

材料の選定

皮を触ってみると、部分によって厚みが違うのが分かりました。端部分は薄く、中央部分は厚いのです。芯の繊維として使えるのは、端でも中央でもなく図の部分のみです。厚みは同じものを使用しないといけないので、皮一枚から取れる量はほんのごく一部です。根元部分から20cmのところしか使えず、残りはかなりありますが捨ててしまいます。

ばれん芯の繊維として使用できる部分を切り取ったものです。
一枚の皮から取れる量は非常に少ないことがわかります。

甘皮を剥く

竹皮からさらに甘皮(あまかわ)を取り除く作業をします。
皮の中でも丈夫な繊維だけを使用するためです。
左が剥いた甘皮・右が丈夫な繊維です。

皮を水に
約6分間ほど浸して
柔らかくします。

適度に湿ったら甘皮にだけ切り込みを入れます。入りすぎないように軽くスッと。

甘皮は口と手を使って剥いていきます。
先端部分を口で咥え、切り込みを入れた部分から甘皮を少しずつ剥がします。ある程度指でつまめるようになったら、甘皮を引っ張り、ゆっくりと剥がします。

後藤さんのお手本です。見事に1枚の甘皮が綺麗に剥けています。

私たちがやった甘皮剥きの失敗作。
なんとも・・・

お手本を見た段階では一見簡単そうに見えましたが、実際にやってみるとこれがとても難しい・・・甘皮はすぐにボロボロになってしまうし、ゆ〜っくり剥いていってもなかなか甘皮だけをきれいに剥くことができません。皮をつまむ指に力を加えることで(けっこう強めに)うまく剥がれた時もありましたが、また油断するとボロボロになります。コツをつかむには、修練と経験が必要な技術だと実感しました。

竹皮を細く裂く

甘皮を剥いたら、いよいよ芯を編む為の繊維に仕上げていきます。
皮の繊維に沿って簡単に裂くことができますが、それにはある道具を使います。

木の板に縫い針を挟み込んで作った、後藤さんお手製の竹皮裂き用針です。繊維一本の幅によって芯の仕上がりが変わります。この道具は、均一な幅に皮を裂くためのものです。持ち手のところに黒い穴が3個ありますが、これは針と針の間隔が3mm、つまり3mm幅の繊維が仕上がるという仕組みです。

この場合は5個の穴に1個の穴、
[0.1mm×5個=0.5mm]と[1mm×1個]という計算になり、1.5mm幅の繊維が仕上がります。

さまざまな幅の繊維を作れるように裂き針を揃えてあります。

裂き用針を皮に当て引っ張ります。これで皮を裂くことができます。

縒り合わせ、縄を作る

繊維一本一本を縒り合わせ、縄状に仕上げていきます。
ばれん芯の太さや形状を表す単位(言い方)についての説明をします。

裂いた竹皮です。このうち2本を使い
ねじりながら縒り合わせます。

フックに引掛けて縒り合わせます。
これを「2コを縒る」と呼びます。

縮めて「2コ縒り」とも言います。
仕上がった縄は「2コ」と呼びます。

菊英さんでは主に8コ・12コ・16コと呼ばれるばれん芯を製造されています。
例えば8コの縄を作るには「2コ+2コを縒り合わせて4コ」「4コ+4コを縒り合わせて8コ」というように足して作っていきます。これでようやく1本のばれん芯が出来ます。

ばれん芯のこぶは刷りに大きく影響します。こぶのことを「こんぺいとう」とも呼びます。また、縒り合わせた繊維の幅によって太さが変わります。同じ8コの芯に仕上げても、使われた繊維が約0.6mm幅だと「超極細」になり、約3.0mm幅の繊維だと「極太」になります。

リズムよくテキパキと縒り合わせていました。少しずつ少しずつ長くなっていきます。
私たちも挑戦してみましたが、しっかりと捻っていかないと簡単に解けてしまいます。後藤さんにほとんどやっていただきましたが、かなり手先の力が強かったのです。一回一回、指先の力と気持ちを込めていきます。2コ縒りから4コ・8コと太くなっていくにつれ、ごつごつしていくのでさらに力を入れないといけないし、指にかなりの負担がかかってくる作業でした。

ばれん芯は螺旋状に巻きつけてあるため、その長さはかなりのものになります。1枚のばれんにどのくらいの長さが必要かお聞きすると、繊維の幅によって変わりますが、8コ芯でおおよそ12M〜20M・16コ細芯だと28Mも必要になるそうです。

ひたすら縒り続けていく・・・
この工程は根気や手間といった気持ちを隅に置いて、自分と向き合いながらでないと続けられない、そんな気がしました。出来上がったものは、ぐるぐると螺旋状に巻き、紐で固定し、ばれん芯の形を作っていきます。

ばれん芯の種類

芯の種類によって、刷りの仕上がりは変わります。ところで学校で木版画の授業を行っているところは今でもありますが、彫刻刀は彫る部分に応じて種類を変えていくのに対し、ばれんはいわゆる教材用のもの一種類だけで全面に圧をかけます。私も学生の頃はそのように学んだので、ばれんに多くの種類があることを知ったのは、この画材業界に入ってからです。

絵を描く時、一種類の筆だけで全てを描き切ることは困難です。太い丸筆や平筆で、細かい部分を描くことはほぼ不可能です。広い面を塗るなら平筆・細い線を描くなら面相筆というように、イメージの部分に応じて筆を持ち替えます。版画も同様に、彫るイメージに合わせて彫刻刀を変えていきます。ムラの無い面を摺るなら、ばれんの圧力が強く掛かるほうがいいですが、細く細く彫った部分は同じ強さで圧力をかけると、刷った後の線はつぶれてしまいます。

8コ極細(芯直径3.2mm)

こちらは8コ極細の刷見本です。白い点々とした模様のようなものが入っています。このように細いばれん芯で摺ると独特の表情が浮かび上がり、これを「ゴマ刷り」といいます。

12コ中芯(芯直径5.3mm)

こちらは12コ芯の刷見本ですが、8コ極細芯と比べると、黒のトーンが全体的に均一なのがわかります。色がきれいに潰れています。摺るイメージの部分に応じて、手の圧力をコントロールしていく。木版画表現の幅は、とても繊細で広いのだと感じました。

ばれんの包み皮をつつむ

包み皮を包む作業も、実際に体験させていただきました。
練習として、木製合板の当て皮を使います。左下にあるのは、華道などで使われるはさみ。
この柄がとても重要です。

竹皮を目こすりする

包み皮は通常、皮白竹ではなく真竹のものを使用します。まずは竹皮を適度に湿らせます。竹皮は厚みがあるのと筋目が立っている為、そのまま包んでも刷りが良くならないのです。(ばれん本来の効きが反映されない)破けたり裂ける原因にもなります。そこではさみの柄を握って、縦横斜めにゴリゴリと強く動かし、皮の厚みと筋目を潰してしまいます。竹皮を両面行います。これを「目こすり」と言います。

目こすりをする際は、はさみの柄をこの椿油に付けてすべりをよくさせます。目こすりをすると皮が薄くなり、ばれん芯のこぶがきちんと紙に当たって圧力がかかるため、効きが良くなります。破れにくく、たるみにくくなります。

包む前に、皮を揉むようにして柔らかくさせます。
とくに両端部分。

一度中央に当て皮を置き余分なところをはさみで切り落とします。

周りの方から皮を包んでいき、皮の端部分をぐるっと捻って巻き、1本の太い縄のようにしていきます。私もやってみましたが竹の皮は硬、指先にけっこう力を入れなくてはいけません。指がジンジン痛みました。

もう一方の端も同じようにくるっと縄のように巻きます。
これらを中央に寄せ、糸を巻き付け、つなげて持ち手を作ります。

革工芸で使われる麻糸です。ぐるぐる巻きつけて強く縛り、ばれんの持ち手が完成します。

私たちも挑戦してみましたが、皮が弛んだり周りの皮に隙間が空いてたりして、なかなかうまく包むことができませんでした。ところで包み終わった竹皮は取っ手部分を切り裏に番号を書いておきます。これは竹皮を包んで何枚目かを書いておくことで、自分の経験を目に見える形で残しておくためだそうです。なにごとも練習を重ねてコツをつかむことが大事なんですね。

当て皮(本ばれん)

ばれんを握ったときに、手の甲が当たる部分です。左の画像:黒い面の部分です。右の画像:当て皮の裏は、手の圧力が一番かかる縄状の芯が収納されます。菊英さんが誇る本ばれんには、この当て皮一枚にも非常に長い時間と手間をかけられています。どういう流れで作られているかを見てみましょう。

当て皮の芯となる素材は、実は「紙」です。この紙は、昔に出版されていた大福帳の紙(明治8年ほどのもの)で古い和紙です。現代の紙ではない理由として、昔の和紙は楮(こうぞ)の使用量が多く、繊維が長いために非常に丈夫にできています。それも、できるだけ枯れた状態になった昔の生漉和紙がよいそうで、後藤さんが骨董品屋さんに出向いて仕入れてきた貴重な古書が当て皮の素材として使われます。

上の写真は、当て皮の形に仕上げるために使う木製の型のものです。
ここに一枚一枚紙を重ねて貼ることで、厚みを足していくのですが、この工程にはとても時間がかかります。

和紙を正円に切り、貼っていくその枚数はなんと40〜50枚!
何枚目にどの直径の和紙を貼るかはすべて記録されています。
一番最初の一枚目には、糊をつかわずに和紙だけを水張りをします。
最後に型から外すためです。

貼るための糊は、わらび粉+柿渋+水(わらび粉渋糊)を定められた濃度で作成します。
わらび粉である理由は接着力が強く、糊の厚みが出ないためです。

当て皮は「薄く・丈夫に」仕上げなければ、手の圧力が紙にちゃんと伝わりません。普通のデンプン糊では糊が厚いので薄く仕上がらず、接着力も弱いのです。わらび粉と聞くと馴染みがある物のように思えますが、市販のものはコーンスターチなどが入っている混ぜ物です。純正のわらび粉は鹿児島で取れるワラビを潰して粉にするもので、500gで約10,000円(!)もする非常に希少価値のあるものです。さらには保存が効くものなので、国宝の修復にも使用されています。柿渋は防水効果があり湿気に強くなります。ばれんは湿気にとても弱いのです。

一枚を貼り込み、接着乾燥するのに1日かかります。それが50枚としたら、50日は最低時間をかけなければなりません。厚みがでてきたら、角を丸く整えるためにカンナで削ります。貼り合わせた和紙はカンナで整形できるくらいに硬く、丈夫になります。

和紙を貼り終えたら乾燥させ、絽(ろ)という絹布を貼ります。当て皮の黒い色は、耐久性を高めるために漆を塗るのですが、その際に絽が貼ってあると漆が塗り込みやすくなるのです。ちなみにこの布も後藤さんが古着屋さんを回って集めておられるそうです。

最後に絽の上から漆を塗ります。絵の具のように刷毛で塗るのではなく、繊維の隙間に刷り込んでいくように色をつけていきます。

筆で塗ると必要以上に漆を使い、固まりすぎて分厚くなってしまうためです。布と綿で作ったタンポに漆を染み込ませて刷り込む「拭き漆」という技法になります。下地に中国産の生漆を塗り、仕上げに国産の最高品質である生正味漆を塗ります。漆は絵の具の乾燥とは違い、湿度の高い場所に置かないと乾燥しません。

生漆が6回・生正味漆が2回、計8回も塗り重ねます。画像を見るとわかりますが、丁寧に貼り込んだ当て皮は相当な厚みになっていることがわかります。漆を塗ったあと、約半年もかけて乾燥させます。漆は乾燥させればさせるほど、漆特有の「漆黒」と呼ばれる深い色になっていきます。実際に完成した当て皮をみると、美しいツヤと、まるで光を吸い込んでいくような、色層が奥の奥まで感じれる深い黒で、つい見とれてしまいました。拭き漆の特徴と言えるのでしょうか、表面に貼った絽の縞模様を残しつつ、漆の色合いが表現されています。

当て皮の内側。丹念に貼り重ねていった和紙の柄が見えます。触ってみたところ本当に硬くて、紙でできてるとは思えません。しかしちょっと力を入れると、少し弾力がありました。
手の圧力をきちんと紙に伝えるためには、ある程度の弾力性が必要で、硬すぎてもダメなのだそうです。

ばれんの製法

ばれんの製法は具体的に書籍など残っておらず、ほぼ口伝で受け継がれてきました。
唯一製法が記録されている書籍が、こちらの「ばれん」という本。

著者である志茂太郎さんという方が、やがて製法が途絶えてしまうことに危機感を覚え、1973年に自費出版でまとめたれたとされています。後藤さんはこの書籍を見て参考にされたのですが、所々このやり方で制作すると上手くいかないこともあるようです。
実際に、当て皮については後藤さんの独学だとのことです。私は思うのですが、ものづくりは制作者の感覚や経験に頼るところが多く、それらをきちんと伝えるとなると、伝える人と伝わる人とを繋ぐコミュニケーションも大事な要素になってくるのではないでしょうか。

どのように伝えたら効率が良いかという方法論だけではなく、受け継いでいく人や世代が、かつての技術・歴史・制作された当時の光景・制作者の感覚に想いを馳せながら手を動かしていく。過去と現代とが歩み寄って初めて「伝承」になっていくのではないかと考えています。

後藤さんが今までに竹皮の芯で出来たばれんを作った枚数は1573枚!工房を開いて約40年ほど経つそうですが、何枚目にどなたのばれんを作ったかという納品先・制作の時の記録を残されています。これが貴重なデータとなり、技術がブレることなく続けられている理由なんだと感じました。

むらさきばれんができるまで

むらさきばれんは本ばれんと並ぶ菊英さんの代表商品の一つ。画箋堂でも学生からプロの方まで幅広くご利用いただいています。
特徴はズバリ、高性能でありながら低価格。

ばれん芯(むらさきばれん)

本ばれんではばれん芯に竹皮を使用していますが、むらさきばれんの芯はテトロン・ナイロンの併用素材を編み上げています。これは竹皮材の素材に匹敵する性能をもっており、漁業用で伸び縮みがなく水に強いナイロンを使用されています。後藤さんが苦心の末に探し当てた素材だそうです。

ナイロンだからといって機械で編み上げることは決してありません。もちろんむらさきばれんも完全な手編みです。その理由として、手で編み上げたほうが均一な仕上がりにならず、多少のバラつきがあった方が、ばれんの効きが一段と良くなるのです。

むらさきばれん - 中芯

潰しから繊細な部分まで、もっとも汎用性があるばれんとされています。

むらさきばれん - 細芯

中芯よりも芯が細く凹凸が少ないため、版の彫りが非常に細かいデリケートな部分に使われます。中芯と比べると、仕上がりが若干ごま状にムラになっています。同じ力で圧をかけても、芯が違うと仕上がりが変わります。

ソフトむらさきばれん - 中芯

凹凸が少ない為にとても繊細な刷りが得られます。むらさきばれん細芯よりも、もっとデリケートです。他の見本と比べて、刷りがソフトな仕上がりになります。

当て皮(むらさきばれん)

むらさきばれんの当て皮は木製です。
本ばれんの当て皮と違って手間がそこまでかかりませんが、木製だから安価だということではなく、ばれんの性能を十分に発揮できるように工夫がなされています。

当て皮の木は、小田原で熟練の木地師によって成型してもらっているそうです。当て皮の角の丸みなど微妙な部分は後藤さんがサンディングされ、形を整えています。この画像は当て皮の内側になりますが、さわってみると、円の中央部分が若干膨らんでいます。ばれんの芯がこの内側に乗っかるために必要な膨らみなのです。それも芯の種類によって、膨らみ加減が違うとのことです。

表面の黒色は漆ではなく、黒のラッカーで塗装しています。最初に黒を塗り → シーラー加工(下地塗り)→ 本塗り(3回)→ シボ塗り(2回)でもって塗装が完了します。最後のシボ塗りというのは、表面にシワのような模様をつけることです。当て皮表面の画像をみると、つるっとした質感ではなく、多少表面に凹凸があります。
当て皮は模様や凹凸をつけることにより、握った手の爪があたって表面が傷つかないようにする為、そしてばれんはくるくる回しながら圧力をかけて印刷していくので、ツルっとしている表面より引っ掛かりのあるシボがあったほうが刷りやすいのです。
この木製の当て皮も本ばれんの当て皮同様、触ってみると少し弾力があります。


実際に摺るTest Print

ばれんの種類と摺りの表情

ばれんと一言でいっても、芯の太さがさまざまで、多くの種類があります。
ばれんの性能を表す言葉に「効き」「色のつぶれ」というものがあります。
ばれん芯が太く、こぶが大きいものは手の圧力が強く伝わり、これを「効き」がよいと表現します。
「色がつぶれる」というのは、色が濃いベタ面を得られるという意味です。
なので基本的に「効き」の良いばれんは「色のつぶれ」も良いばれん、ということになります。

ばれん芯が細く、こぶが細かいばれんは、圧力を強くかけても効きが弱くなります。
しかし、それは品質が悪いということではありません。
例えば髪の毛のような細い線を摺りで表現したい時、「効き」がよすぎると色がつぶれすぎて、
線が滲んでしまい繊細さが出せません。
ですから、木版画というのは本来、摺る部分によってばれんの種類を使い分けるのが適切なのです。

ここでは後藤さん自身が制作されたこちらの作品を参考に、ばれんごとの表情を見ていきたいと思います。こちらの作品では、表現に合わせてさまざまなばれんを使い分け、一つの画面が構成されるように摺られています。 & 筆者の個人的な見解も少し織り交ぜながら

  • 作品名夜の舟ed11/30
  • 作者後藤 英彦
  • 貴肌

作品の上部

1)
ゴマ摺り専用ばれんを使用

ゴマ摺り専用のばれんで摺られています。このばれんは、芯材にサンドペーパーが貼ってあり、包皮には通常よりも薄い竹皮が用いられています。
絵の具を多めに置いて摺られていて、ディテールは星のようにキラキラと輝いていました。

作品の下部

2)
16コの芯でベタ摺り

絵の具の量は少なめだそうです。木目が美しく現れる木版画ならではの表情が出ています。静かな夜の波の表情や、海の色の深さを感じます。

作品の左部

3)
16コの芯で2回刷り

上記の2(作品の下部)の部分よりも濃さがあるのが分かります。それでも木目は潰れることなく現れています。

左部と右部の境界

4)
芯が太く効きの良い
ばれんを使用

ぼかしを美しく摺るには、効きの良いばれんを使います。
細芯で繊細なばれんでは、色の刷り込みが甘くなってしまうそうです。

作品の中央部

5)
12コの芯 効きを抑えた
ばれんを使用

12コの芯で、2)と3)の部分で使ったばれんよりも効きを抑えた繊細なばれんを使用。ベースに銀の面(アルミ粉と特殊な液)を摺り、その上から真っ黒の色を摺ると、銀が浮いて出てくるそうです。渋いメタリックなディテールの黒色が、舟に不思議な素材感を与えています。

作品の裏面

少し見にくいですが、擦られた絵の具が和紙の裏面に滲んでいるのがお分かりでしょうか。木版画において、絵の具を紙の上に乗っけるだけでは版画としての表情が全く出ません。絵の具が和紙に染み込むまで、ぐっと圧力をかけることによって初めて木版画の特性が活かされます。絵の具が濃くなっている部分は、太芯のばれんの効きが良い部分になり、効きが良いと絵の具も深くまで染み込みます。
対して、1)作品上部のゴマ摺りの部分はばれんの圧力だけでなく、絵の具の濃さ・糊の量などで調整されていて、そこまで和紙に染み込んではいません。

京都と江戸では、
版画の刷り方が違う?

木版画の刷り方について、昔から京都と江戸では刷り方に大きな違いがありました。
京刷りは、京都の名産である「胡粉」を入れ柔らかく刷ります。よって柔らかい発色(パステルカラーのような)になります。色も少し盛り上がったような感じになります。ばれん自体が割と大きく13~14cm ほどであり、当て皮も柔らかくソフトな印刷が特徴とされます。また絵の具として使う接着材に膠を使うのですが、これは京都の版画が扇子などの工芸品の絵付けに版画を用いることが多く、扇子を折り畳む扇具のように道具としての使用に耐えるため、強い接着力と耐久性が必要なためではないかと思われます。

対して江戸刷りは紙の裏に写るくらい、きっちりと力強く刷り込みます。版に乗せる絵の具はなるべく少なくし、透明感を出して木目を生かし、色を重ね合わせて色調を作ります。そのためばれんのサイズは大きくなく当て皮も硬いものを使い、より「効き」がいいようにしないといけません。絵の具の接着剤にはでんぷん糊(せんたく糊)を使用します。乾燥を遅らせ、絵の具にコシを持たせる効果があります。版画の技法で一枚の絵画を描くようなイメージでしょうか。
江戸刷りを体得している職人さんが京刷りをすることはできても、京刷りに慣れている職人さんが江戸刷りをしようと思っても、一から修行し直しをしなければならないほど、やり方が全然違うそうです。


あとがきAfterwords

大磯の美しい風景

工房を取材後、私たちは後藤さんに大磯のさまざまな風景をご案内していただきました。
連れて行って下さったのは、後藤さんが毎日のように散歩されているルート。

工房を出て階段を上がり、下校する小学生達とすれ違いながら、勾配のある坂をしばらく歩きます。閑静な住宅が立ち並ぶ坂道をある程度登りきったところで、後藤さんが振り返った方を見ると、日暮れに差し掛かった時間、見事な美しい景色が広がっていました。輝く海原に山の稜線そして富士山が遠くに姿を見せています。私は、新幹線の車窓から単独で富士山を見ることは稀にありましたが、こうして日常の風景の中に在る富士山を見るのは初めてだった気がします。

丘を下り、大磯駅をこえてま真っ直ぐ坂を下ります。高速道路の下をくぐるとそこには海岸が広がっていました。海岸からも富士山を眺めることができます。とても贅沢な光景。富士山と海と山々を一つの視界に見るのは初めてでした。まるで浮世絵の世界観を眺めているような。波打ち際ぎりぎりのところを歩く。この日は割と波が強かったので、油断していると足元まで波が来そうな程でした。

燃えるような夕焼けに、果てしなく遠くに広がる雲。大磯の力強い海の風景でした。
後藤さん曰く、毎日でも海を眺めないと気が済まないそうで、その為に大磯に工房を構えたといっても過言ではないそうです。ここまでの散歩ルートだけでも、私たちは大磯の風景にスケールの大きさを体感しましたが、後藤さんはこの美しい風景から力を蓄えているのでしょう。この後は街に戻り、鳥の美味しいお店で、後藤さんと晩御飯をご一緒させていただきました。お酒も交え、電車に乗る最後の最後まで本当に楽しい時間を過ごすことができました。

前々から版画に関わる画材を取材したいと思っていましたが、今回やっとそれが叶いました。
木版画にとって出来栄えを左右するとても重要な画材・ばれんです。菊英の後藤さんには、銀座ばれん塾から工房の取材と長い時間本当にお世話になりっぱなしでした。改めてここにお礼を申し上げます。決して妥協しない職人としての顔を持ちながら、経験や知識を人々に広く伝えるべく奮闘されている、そんな大らかな心をお持ちの後藤さん。器の大きさを感じました。
最初から最後まで全てが手仕事で作られている本ばれんは非常に美しく、いつまでも鑑賞していたいという強い魅力を放っていました。それは作業工程の全てが完璧でありながら、手仕事ならではの歪さや癖が出てくる、そこに人間らしさが形に表れているのではないでしょうか。自分達で長い時間をかけて作ったばれんには、物自体に、きっと自分自身がそのまま表れているのではないかと感じました。


ご購入についてAbout Purchase

菊英のばれん製品は完全受注生産です。ご注文をいただいてからの生産となりますのでお時間を頂戴いたします。


銀座ばれん塾About School

後藤さんは、ばれんの製造だけでなく、一般の方々にばれんの制作指導もされています。
2012年5月に東京銀座の美術家会館にて、ばれん手作り教室「銀座ばれん塾」を開講されました。
現在までに延べ700名の方が全国各地から集まり受講されたそうです。
今回の取材にあたり、まずはばれんのことをしっかりと知っておきたい気持ちもあり、
大磯の工房へ取材に伺う前に、この銀座ばれん塾に参加してきました。

当日は私たちのほか7名ほどの方々が受講されていました。ご年配から若い方まで幅広い方がお越しでした。皆さん席に着くなりさっそく道具を広げ作業を始められていたのを見て驚きましたが、さらに驚いたのことに一人一人、作業をされている内容が違うのです。
包み皮の作業をされている方もいれば、皮白竹の甘皮を剥き、ばれん芯を作る方も、さらにはばれん芯自体もうほぼ出来上がっている方もいらっしゃました。

包み皮の作業をされている方

皮白竹の甘皮を剥いて、
ばれん芯を作っておられる方

このように、銀座ばれん塾ではやりたい工程(コース)を受講生が決められます。そして一人一人を後藤さんが親身になってきちんとご指導されます。皆さんの作業を見て思いましたが、本当に手際が良くて、私たちから見ればもはやもう立派な職人レベルです。
受講生の皆さんが、いかにこの塾に熱心に通い学ばれているか、そして後藤さんが丁寧にわかりやすくご指導されているのかを、とてもよく表していると感じました。